しずちゃんにっき
日記はmixiに移行しました。投資関連の記事はこちらに書いていこうと思います。
書いてる人はこんな人
なまえ:
桜海 枝杜来(さくらみ しずく)
サイト:
セックス:
姫
生まれた日:
1985/04/22
こんな人:
なんだか金融と縁が深い20代女子。信販(審査)⇒信販(督促)⇒銀行⇒投資顧問⇒信販(審査)と辿ってきました。笑。
文才がある、というか時々神様が降臨します。展示室に詩文を展示してます。
文才がある、というか時々神様が降臨します。展示室に詩文を展示してます。
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夕方四時から、女王の教室を再放送しています。
今日最終回。
このドラマ、わたしのトラウマを引きずりだしてきます。
小学校の6年、わたしが学校に行かなくなった年。
その後学校という環境を受け付けなくなり、中学も高校もほとんど行ってません。
家にいたときの記憶すらないよ。
原因を作ったのが、その年の担任。
阿久津先生みたいに熱心ではなかったけどね。
糞みたいな教師だった。
つらかったから、記憶はほとんど欠落してしまったけれど。
お気に入りだけをひいきしてね。
出る杭は徹底的につぶす。
最近問題になってる「その他大勢」にも膨大な量の要求をする。
おまけに児童が要求に応えても、評価しない、無視する、ひどい時には、けなす。
唯一、覚えていることなんだけど。
3学期になって、その日は思いつきで学校に行った。
その教師のことはほとんどあきらめていたから、本当に深い意味はなかったんだけどね。
実はね、多くの保護者と、教育委員会と、話し合って。
毎日が授業参観だったの。
時間の余裕がある保護者が交代で見に来る。
だから、状況が異常で、覚えていたのかな。
授業は…なんだろ。公民か歴史だったかなぁ。国語?
なんかの質問をされたんだ。
挙手したのは、数人、ぜんぶ教師のお気に入り。
もちろん答えはわかってるけどね。めんどくさいし。うざいし。
そしたら、「どうして手を上げないの!!」ってキレる。
うるさいから仕方なく手を挙げるでしょ。
で、当てるのはもとから挙げてたteacher's petだけ。
そりゃ、キレるよ。
その日は、静かにプツっとキレて、帰った気がする。
ひどいからね。教頭にも校長にも、教育委員会にも訴えた。児童みずから。
でも、何も変わらなかった。
保護者が教育委員会に訴えて、やっと答えが得られた。
赴任して3年に満たない教諭は、他の学校に移せないって。
3クラスしかない小さな小学校だ。
1学年約100人の大半がその教師を嫌っていた。
各々、いろんな方法で抗議した。
新聞に載るほどの問題を起こした子も、いた。
それでも、なんにも、変わらなかった。
それだけじゃない。
あの教師は、母親も傷つけた。
それは春の終わり、家庭訪問の日。
第一声が、「変わったお子さんですね。」
出る杭は打たれる、その説明なき方針の、宣告だったのかなぁ。
ひどく批判的に、そう言い放った。
それまで、言うことを素直にきく、期待にそぐわない良い子として育てられてたの。
だから、学校に行かない、行こうと思っても受け入れられない現実は、思春期の精神をどんどん蝕んでいった。
同じ頃、診療内科医にも見放された。
「ここは君の来るところじゃない。原因がはっきりしてるから。」
なんで敢えて倒置法で言うんだ。
「原因がはっきりしているなら、それを取り除けばいいんだ」
取り除けないから悩んでいるんだ。
訴えても無駄だった。
その後、精神科やら心療内科やら小児科やら、いろいろたらい回しにされて、結局最後はカウンセラーの突然の退職でそれも終わった。
あーあーあー。
嫌なこと思い出しちゃった。
あーあ。
がんばろ。
今日最終回。
このドラマ、わたしのトラウマを引きずりだしてきます。
小学校の6年、わたしが学校に行かなくなった年。
その後学校という環境を受け付けなくなり、中学も高校もほとんど行ってません。
家にいたときの記憶すらないよ。
原因を作ったのが、その年の担任。
阿久津先生みたいに熱心ではなかったけどね。
糞みたいな教師だった。
つらかったから、記憶はほとんど欠落してしまったけれど。
お気に入りだけをひいきしてね。
出る杭は徹底的につぶす。
最近問題になってる「その他大勢」にも膨大な量の要求をする。
おまけに児童が要求に応えても、評価しない、無視する、ひどい時には、けなす。
唯一、覚えていることなんだけど。
3学期になって、その日は思いつきで学校に行った。
その教師のことはほとんどあきらめていたから、本当に深い意味はなかったんだけどね。
実はね、多くの保護者と、教育委員会と、話し合って。
毎日が授業参観だったの。
時間の余裕がある保護者が交代で見に来る。
だから、状況が異常で、覚えていたのかな。
授業は…なんだろ。公民か歴史だったかなぁ。国語?
なんかの質問をされたんだ。
挙手したのは、数人、ぜんぶ教師のお気に入り。
もちろん答えはわかってるけどね。めんどくさいし。うざいし。
そしたら、「どうして手を上げないの!!」ってキレる。
うるさいから仕方なく手を挙げるでしょ。
で、当てるのはもとから挙げてたteacher's petだけ。
そりゃ、キレるよ。
その日は、静かにプツっとキレて、帰った気がする。
ひどいからね。教頭にも校長にも、教育委員会にも訴えた。児童みずから。
でも、何も変わらなかった。
保護者が教育委員会に訴えて、やっと答えが得られた。
赴任して3年に満たない教諭は、他の学校に移せないって。
3クラスしかない小さな小学校だ。
1学年約100人の大半がその教師を嫌っていた。
各々、いろんな方法で抗議した。
新聞に載るほどの問題を起こした子も、いた。
それでも、なんにも、変わらなかった。
それだけじゃない。
あの教師は、母親も傷つけた。
それは春の終わり、家庭訪問の日。
第一声が、「変わったお子さんですね。」
出る杭は打たれる、その説明なき方針の、宣告だったのかなぁ。
ひどく批判的に、そう言い放った。
それまで、言うことを素直にきく、期待にそぐわない良い子として育てられてたの。
だから、学校に行かない、行こうと思っても受け入れられない現実は、思春期の精神をどんどん蝕んでいった。
同じ頃、診療内科医にも見放された。
「ここは君の来るところじゃない。原因がはっきりしてるから。」
なんで敢えて倒置法で言うんだ。
「原因がはっきりしているなら、それを取り除けばいいんだ」
取り除けないから悩んでいるんだ。
訴えても無駄だった。
その後、精神科やら心療内科やら小児科やら、いろいろたらい回しにされて、結局最後はカウンセラーの突然の退職でそれも終わった。
あーあーあー。
嫌なこと思い出しちゃった。
あーあ。
がんばろ。
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