しずちゃんにっき
日記はmixiに移行しました。投資関連の記事はこちらに書いていこうと思います。
書いてる人はこんな人
なまえ:
桜海 枝杜来(さくらみ しずく)
サイト:
セックス:
姫
生まれた日:
1985/04/22
こんな人:
なんだか金融と縁が深い20代女子。信販(審査)⇒信販(督促)⇒銀行⇒投資顧問⇒信販(審査)と辿ってきました。笑。
文才がある、というか時々神様が降臨します。展示室に詩文を展示してます。
文才がある、というか時々神様が降臨します。展示室に詩文を展示してます。
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実際のところ、4、5年前にはもうおかしくなっていたんだと思う。
わたしは、環境の変化に精神が耐えられないことを恐れていただけ。たぶん。
わたしが高校に入って、
あの人が大学に進んだ。
このあたりがおかしくなり始めた頃。
大学に入って、ゼミだバイトだ、ってどんどん行動範囲を広げて行くのを、ただ、待って、見ていた。
旅費を稼ぐために歯医者でバイトもした。
毎日が、戦いだった。
そんな中で、夜、あの人の帰りを待って、メッセで会話していた。
わたしは、高校3年に上がって、少しずつ出席率も上がっていった。
登校する日は、朝5時半起き。じゃないと低血圧、動けない。
あの人は大学生だから、起床時間なんてまちまち。
「いつになったら寝かせてくれるの」って。何度言っただろう。
長時間睡眠が必要なわたしにとって、夜更かしは早起き生活を崩壊させる要因だった。
わたしは、結局名古屋の大学に進むことが決まった。
他の男に手を出し始めたのはこの頃。
受験勉強のストレスと、3年に上がり、ゼミ長を引き受けたあの人が、飲み会に行けば必ず最後まで残るようになり、放置されがちになったことが原因だと、思う。
大学に上がって、5月頃。
運命のバイトと出会って、友人もできた。社会人に半分足を踏み入れた。
わたしが忙しく授業とバイトとの生活を送っている中、就職活動を放棄したあなたが、いた。
その中でも課外ゼミの活動と飲み会はあって。
「遅くならないから。」
「一次会で帰るから。」
「ちょっと待ってて。」
それで、明け方まで待たされることが多くなった。
それでも、わたしの生活は充実していた。
念願の中国語を学べる場にいて、自分のためになるバイトをしていたから。
翌日の授業を諦めたりしながら、待った。
だから、大学に入ってしばらくは、何事もなかった。
そしてあの人が就職して、亀裂が広がった。
残業や付き合いで遅くなりがちになった。
でも、仕事や付き合いのことだから、と気にしないように努めていた。
できる限り仕事が終わるまで待って、お疲れさまを言えるようにしていた。
でも、立場が逆転して、口論も増えた。
「会社の人と行くプライベートの飲み会」が一番嫌いだった。
行く気がしない。一次会で帰る、と言ったきり、何の連絡もないまま終電の時間が過ぎたことも、多々あった。
あの人が一人暮らしを始めて、わたしが毎月連休を作っては行くようになった。
その度に、毎回1度は泣いて実家に帰ると言っていた気がする。
もう、この時点で破綻していたんだ。
近づけばおかしくなる関係だって、わかっていた。
でも、思い過ごしだって思うようにしていた。
そのうち、わたしが就職をして、辞めて。
でも、相変わらず忙しい彼と、仕事のストレスと、仕事を辞めたストレスと。
そんな中、また、他の男に手を出した。
でも、仕事が決まってからは、またぱったり止めた。
忙しければ、それどころじゃないから。
あの人が転職を決意して、こっちに越してきた。
最初は、同棲するつもりで、実家からいろんなものを運び込んだ。
でも、わたしの仕事の環境が変わったりして、それに慣れるまでは実家がいいと判断した。
あの人が実家に顔を出す機会も増えた。
両親とも、だいぶ打ち解けた。表面上は。
でも、あの人がこっちで「疲れる」原因は。
わたしの家族にも「仕事の顔」で接していたから。
そして、それが、わたしの両親の怒りを買う原因でも、あった。
電話の声が漏れて聞こえて、母が「あまりにも態度が違う」と、何度言っただろう。
些細なことで口論になって、電話口で泣いて謝って、何度母がわたしが持っている電話を取り上げただろう。
何度部屋を飛び出して、父の迎えを請うただろう。
破綻していた関係が、近づいたことで顕著になった。
それだけ。
金曜の夜からはあの人の部屋にいたけれど。
わたしがパニック発作を起こして、部屋を飛び出してから、それも減った。
それからは、土日に買い物のために車を出すくらい。
あの人に恐怖を感じるようになっていた。
そして、今年のゴールデンウィーク。
わたしは4月29日と5月6日は休日出勤。
あの人は5月2日から、結婚式と広島を追いかけて不在。
ぽっかり、空いてしまった時間。
空虚な時間。
空虚を埋めるのは、人。
でも、あの人はいない。
友人たちも忙しい。
家族もいない。
じゃあ、どうする?
それだけのこと。
ただ。
最後数日のあの人の行動は、とても成人男性のものとは思えない。
最後のエントリなんて、女々しいお子様の行動としか思えない。
言いたいことがあったら直接言いなさいな。
自分の非は棚に上げ、わたしの気遣いは無視し、同情を買うようなことばかり。
浅い付き合いの友人ばかりだって自分で公表しているようなものだわ。
何も言わずに耐えてきたわたしの10年を、あっさり踏みにじるようなことを。
浮気する奴は死ねとか言いながら、間が空かなすぎるけど気になる人ができたとか。
それはどうなのかな?
本当に、ここ1ヶ月のことなのかな?
東京に戻るための、っていうエントリからして、とてもそうは思えないんだけど。
まぁ、どうでもいいわ。
とにかく、お子様との付き合いはもううんざり。
それだけ。
わたしは、環境の変化に精神が耐えられないことを恐れていただけ。たぶん。
わたしが高校に入って、
あの人が大学に進んだ。
このあたりがおかしくなり始めた頃。
大学に入って、ゼミだバイトだ、ってどんどん行動範囲を広げて行くのを、ただ、待って、見ていた。
旅費を稼ぐために歯医者でバイトもした。
毎日が、戦いだった。
そんな中で、夜、あの人の帰りを待って、メッセで会話していた。
わたしは、高校3年に上がって、少しずつ出席率も上がっていった。
登校する日は、朝5時半起き。じゃないと低血圧、動けない。
あの人は大学生だから、起床時間なんてまちまち。
「いつになったら寝かせてくれるの」って。何度言っただろう。
長時間睡眠が必要なわたしにとって、夜更かしは早起き生活を崩壊させる要因だった。
わたしは、結局名古屋の大学に進むことが決まった。
他の男に手を出し始めたのはこの頃。
受験勉強のストレスと、3年に上がり、ゼミ長を引き受けたあの人が、飲み会に行けば必ず最後まで残るようになり、放置されがちになったことが原因だと、思う。
大学に上がって、5月頃。
運命のバイトと出会って、友人もできた。社会人に半分足を踏み入れた。
わたしが忙しく授業とバイトとの生活を送っている中、就職活動を放棄したあなたが、いた。
その中でも課外ゼミの活動と飲み会はあって。
「遅くならないから。」
「一次会で帰るから。」
「ちょっと待ってて。」
それで、明け方まで待たされることが多くなった。
それでも、わたしの生活は充実していた。
念願の中国語を学べる場にいて、自分のためになるバイトをしていたから。
翌日の授業を諦めたりしながら、待った。
だから、大学に入ってしばらくは、何事もなかった。
そしてあの人が就職して、亀裂が広がった。
残業や付き合いで遅くなりがちになった。
でも、仕事や付き合いのことだから、と気にしないように努めていた。
できる限り仕事が終わるまで待って、お疲れさまを言えるようにしていた。
でも、立場が逆転して、口論も増えた。
「会社の人と行くプライベートの飲み会」が一番嫌いだった。
行く気がしない。一次会で帰る、と言ったきり、何の連絡もないまま終電の時間が過ぎたことも、多々あった。
あの人が一人暮らしを始めて、わたしが毎月連休を作っては行くようになった。
その度に、毎回1度は泣いて実家に帰ると言っていた気がする。
もう、この時点で破綻していたんだ。
近づけばおかしくなる関係だって、わかっていた。
でも、思い過ごしだって思うようにしていた。
そのうち、わたしが就職をして、辞めて。
でも、相変わらず忙しい彼と、仕事のストレスと、仕事を辞めたストレスと。
そんな中、また、他の男に手を出した。
でも、仕事が決まってからは、またぱったり止めた。
忙しければ、それどころじゃないから。
あの人が転職を決意して、こっちに越してきた。
最初は、同棲するつもりで、実家からいろんなものを運び込んだ。
でも、わたしの仕事の環境が変わったりして、それに慣れるまでは実家がいいと判断した。
あの人が実家に顔を出す機会も増えた。
両親とも、だいぶ打ち解けた。表面上は。
でも、あの人がこっちで「疲れる」原因は。
わたしの家族にも「仕事の顔」で接していたから。
そして、それが、わたしの両親の怒りを買う原因でも、あった。
電話の声が漏れて聞こえて、母が「あまりにも態度が違う」と、何度言っただろう。
些細なことで口論になって、電話口で泣いて謝って、何度母がわたしが持っている電話を取り上げただろう。
何度部屋を飛び出して、父の迎えを請うただろう。
破綻していた関係が、近づいたことで顕著になった。
それだけ。
金曜の夜からはあの人の部屋にいたけれど。
わたしがパニック発作を起こして、部屋を飛び出してから、それも減った。
それからは、土日に買い物のために車を出すくらい。
あの人に恐怖を感じるようになっていた。
そして、今年のゴールデンウィーク。
わたしは4月29日と5月6日は休日出勤。
あの人は5月2日から、結婚式と広島を追いかけて不在。
ぽっかり、空いてしまった時間。
空虚な時間。
空虚を埋めるのは、人。
でも、あの人はいない。
友人たちも忙しい。
家族もいない。
じゃあ、どうする?
それだけのこと。
ただ。
最後数日のあの人の行動は、とても成人男性のものとは思えない。
最後のエントリなんて、女々しいお子様の行動としか思えない。
言いたいことがあったら直接言いなさいな。
自分の非は棚に上げ、わたしの気遣いは無視し、同情を買うようなことばかり。
浅い付き合いの友人ばかりだって自分で公表しているようなものだわ。
何も言わずに耐えてきたわたしの10年を、あっさり踏みにじるようなことを。
浮気する奴は死ねとか言いながら、間が空かなすぎるけど気になる人ができたとか。
それはどうなのかな?
本当に、ここ1ヶ月のことなのかな?
東京に戻るための、っていうエントリからして、とてもそうは思えないんだけど。
まぁ、どうでもいいわ。
とにかく、お子様との付き合いはもううんざり。
それだけ。
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