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しずちゃんにっき
日記はmixiに移行しました。投資関連の記事はこちらに書いていこうと思います。
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書いてる人はこんな人
なまえ:
桜海 枝杜来(さくらみ しずく)
セックス:
生まれた日:
1985/04/22
こんな人:
なんだか金融と縁が深い20代女子。信販(審査)⇒信販(督促)⇒銀行⇒投資顧問⇒信販(審査)と辿ってきました。笑。
文才がある、というか時々神様が降臨します。展示室に詩文を展示してます。
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現代を生きるってことは、あんまりにも不条理で、苦痛に満ちたもの。
気にしちゃいけないことは、わかっているけど。
笑えないわたしにできることは、ただ、ひとりで泣くだけ。

存在を消してしまえたら、楽なんだけど。

いまのわたしは、死ぬことすら、面倒で。

ただ、そのときにしなければならないこと、をその時間にするだけ。
でも、もう、それすら追いつけなくなっていて。


いつになったら休めるのか、とか。
どこまでいったら幸福になれるのか、とか。

そういうのは、考えちゃいけない、はず、なんだけど………。
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母親(実母のほう)とは、結局、似ていると思う。
容姿はそうでもないけど。
声とかね。電話口だと誰かわかんないらしいよ。


それに、性質。
母親は、主婦、わたしは、学生が本職のはずなんだけど。
バイトなのに所得税かかってたり。
仕事の濃さが、半端なかったりする。

だって、わたしが抜けたら、今の職場回らないから、が口癖。
おかしなことに、わたしは週休2日。
母は、週休1日という過酷さ。

それもこれも、個人の希望なんかじゃなくて、会社とか、周囲の都合なんだから。

そんな周りへの憤りさえ、似たところがある。

所詮時給で働いてるんだから。
1時間でどのくらい仕事してたって、結局は一緒なんだよね。
いつも、いつもそんな愚痴をこぼして。

上司は、評価なんかしないし、関心も持たずに、批評だけはきっちりする。
そう、そんな愚痴ばかり、聞かされる。


1時間、だらだら仕事してても、あくせく働いてても。
変わらないのに。

だらだらするのを許されないわたしたちと、そうじゃない人たちの差って、何なんだろ。

結局そこに行き着くんだけどね。

母親とわたしの違いって言ったら。
わたしは、そこまでアクティブじゃないし。
元気でもないし。
ポジティブでもないってことかなぁ。
黄金周頃から、体調がおかしいです。
どれだけ寝ても、足りない。
地下鉄の1駅間でも寝てる状態。

それでも中国語は大好きだから授業中は、眠れなくて。
眠気は醒めないし、3年に上がったときに下のクラスに落とされたから授業に対する熱意も大したことはないけど。

正直、1月の養母の死がここまで影響するとは、思わなかったな。いろんな意味で。
あのときは、何が起こったのか本当に、理解できなくて。
ただ、いくつもの大きな氷で冷やされ、冷気に晒された金属よりも冷たい、柔らかな皮膚に触れて、やっと、一瞬で理解した。

それは残酷なくらい、無神経に、わたしに理解させた。

1月15日、日曜日。あのとき知らせを受けて、悲しいより、ショックで涙があふれた。
電話で会社の次長に話して、月、火だけ、通夜と葬儀のために休みをもらった。
わたしが抜けると、平日の仕事は、かなりきついはずで。
仕事仲間にも、迷惑をかけてしまったんだ。

夕方頃から、ストレスと疲労で膀胱炎も起こしてた。
彼さんも、お母さんにも、すごく心配させてしまった。
東京から夜行バスで眠れないまま帰宅して、すぐに、本籍地の、養父母の家へ。
冷たい体が、すべてを、わたしに理解させた。

疲労と睡眠不足が抜けないまま、通夜は、遺族席、それも1親等、喪主と同じ扱いの位置で、終わった。
混乱と緊張で、下腹部の痛みは、通夜式の間は、薬もなく我慢できていた。

実の父母も弟も、帰宅してしまう。
わたしは斎場で、布団もなく高校の頃に買った黒いパシュミナのストール1枚で、横になることもなく夜を明かした。

女性の強さを改めて実感したのは、そのとき。

本当は、養母とのつながりは、わたしなんかよりも。
実の妹に当たる祖母や、その妹さんのほうが、ずっと濃くて。
わたしの知らない親戚関係も、出席していたけど。
休息をゆずり合って、起きているのは女性だけ。
男性は、喪主の養父さえも、布団に横たわって熟睡。

わたしはただ、何も考えられずに、NintendoDSが発する電子音がもたらすいら立ちに、耐えていた。




何も知らないこどもはたぶん、幸福なんだと思う。



翌朝、明け方頃から、思い出したように膀胱炎が悪化した。
尿は赤いを通り越して、どす黒く濁っている。
堪え難い腹痛に、涙が滲むくらい。
葬儀の前に、近くの病院に、急患で連れて行かれた。
ただでさえ、姉の死でショックを受けているのに。
わたしのせいで、無駄な心労を重ねてしまったんだ。

そのあとの葬儀も、出棺も、火葬も、ぜんぶ。
もっともつながりの強い遺族としての参列で。
ただ、DSの電子音を耳に入れないように努めて。
思っていたのは、祖母や、大叔母のほうが、本当は、ずっとつながりは濃いのに、ってこと。

いまの世の中、戸籍って紙切れが、どんなに重いかってことを、理解させられた。

そう、ちょうど、それが、大学の期末試験の直前だった。
たまたま授業内に試験をする科目が少なく、追試験6科目という異常事態。

皆が期末試験の間に、大学の同級生の大半が集まる飲み会があった。
留学に行く子たちの送迎会も兼ねていたから、無理に出席した。
たぶん、自棄になっていたんだと思う。
とにかく、アルコールの採り過ぎでもどしたのは、そのとき1回きり。
それでも、事情をほとんど知らない周囲に随分迷惑をかけたと思う。


その後眠そうにしていた弟を最寄り駅まで呼び、帰宅して、10数年ぶりに、声を上げて、泣いた。
その様子に母や祖母は、心を痛めたのだろう。

会社へは、葬儀の翌日は元々休日だったため、木曜から、出勤していた。
あまりに軽く「お母さん死んじゃったの。」と言うから、あんまり信じてもらえなかったけど。
それでも、何かしていないと気が変になりそうだったし。
あんまり重く話しても、相手を疲れさせるだけだし。

とにかく、2006年の1月には、いろんなことがありすぎた。
わたしが声をあげて泣いたのは、迷惑や心配をかけすぎた実感と、罪悪感からだと、思う。


ところで、大学には、習熟度別クラス編制という制度がある。
1学年を2つのクラスに分け、それをさらに2つずつに分割し、毎回ほぼ同じメンバーで必修中国語を受講する。
その、2つのクラスに分けるために、後期の期末試験期間内に、テストがある。その成績により、どっちのクラスかが決まる。
試験をぜんぶ忌引きしたおかげで、クラス分けテストも未受験。
そのために、今は下のクラスにいる。

正直、今のわたしにとって、これがかなり、苦痛。
授業の進度がまるで合っていない。はっきり言って、非常に退屈。
それで、大学に行くのが、嫌になる。
3年から4年に上がる際には、クラス分けテストはしない。
つまり、あと2年近く、この苦痛が続く。
つらくても、授業中は眠れなくて。
やっぱり、中国語好きだから。

体調がよくない原因は、不明。
とにかく、そろそろ来るべき月のものが、まだ来ていない。
1日のうち半分以上を睡眠に費やしても、まだ眠い。
どのくらいか、って。気を抜くと意識が途切れるくらい。

それから、目の疲れ。
元々遠視があるので、いつも焦点は、ほぼ意識的に合わせている状態。
それでも、焦点がうまく合わずにぶれている。
近づけばはっきりするわけでもなく。

特に見づらいのは、活字。
ディスプレイに表示される文字も、紙に印刷された文字も。
とにかく、白背景に黒で書かれた文字は、わたしにめまいを起こさせる。


不審に思って、片目ずつ、見え方を確認すると、左右の視野の差が、以前よりもずっと大きい気がする。
それに、左目の視野は、常に小刻みに震えている。

そのせいで、仕事でもミスが多く、風当たりが強い。

そう。先月末に担当が2人辞めた影響で、今月は契約書のFAXからデータを起こす作業専任。
本来は、契約内容の電話を、指定された時間にかけるのが主な仕事。
その、電話をする係(ほとんどバイトと派遣社員)の子たちが楽をしたがるおかげで、わたしは、確認の電話もしなければならない。
どうして、指定された時間になってるのに、「適当に時間をおいて何度かかけてください」指示の電話をしているのかな。

いろいろ、疑問です。

わたしばっかりがんばるのは、たぶん、それが一番楽だから。


でも、最近本当に体調がよくないんです。
どうしようもないくらいの眠気もそうだし。
常に100回/分を超える脈拍も負担だし。
焦点が合わない目は、入力ミスを誘発するし
本当は座っているのもつらい状態なのに、ここのところ急な欠勤が本当に多いこと、知ってるから。休みたいなんて、言えない…。
そして有給はたまっていく。



本当は、あまえたいだけなんだ。
力を抜いて、理解してくれる、と安心したいんだ。

神経が張りつめすぎていて、いまにも、ふと切れてしまいそう。


ねえ、わたしは、仕事仲間なんかじゃ、ないんだよ…。


こんな夜中に1時間もかけて何を書いてるんだわたしは。
愛しているものは、全力で護ります。

だから、傷ついていたら、放っておけません。

わたしの行動で、余計傷つくかもしれないけど。

先を見通して、どうしたらより幸福になれるのか。

そこまで見通せる、頭が、ほしい。

もちろん最善なんてわからないことは、知ってる。

でも、考えうる限りで、幸福にしたい。

人に手を貸すには、わたしは、まだ、知らないことが多すぎる。
疲れた体で、明かりの消えた家に帰って
冷めた夕食を、機械的に食べる。

そのあと、いつもの紫砂の茶壷を温める。
茶葉を入れて、熱湯を注いで、ガラスの茶海にあける。
ガラスの茶海の中で済んだ茶湯が渦巻く。

いつものマグに注いで、ほっと息をする。

ささやかな、幸福。

こんな幸福を大切にしたいのに、
このごろは忙しすぎて、お茶を淹れることすら、面倒になってしまう。

他に幸せをみつけるか、ささやかな幸福を大切にするか。
どちらか、しないと。
わたしは、つぶれてしまう。
いい子のふりをするのは簡単です。
今までも、ずっとそうしてきました。

ただ、笑いながら「大丈夫」って言えばいい。
期待を背負った幼い女の子の、拙い知恵。

でも、未だに抜けない。
この頃は、専ら時間の流れを恐れています。
もうあと10日で21歳になってしまうからなのかもしれないし。
もっと、ほかの漠然とした原因から、かもしれない。

たとえば、タイムスタンプ。
記録された時間は、もう二度と訪れない。
時間を表す数字は、刻々と増え続ける。

たとえば、わたしがここに座っていても、
どこかに向けて移動していても、
何かをしていても、何もしていなくても、眠っていても、
時間は、同じように流れていく。

時計だけがすべてじゃ、ない。
その辺にある時計だって少しずつ狂っていくし、地球の自転から求められる時間と、正確に時を表示し続ける時計との間にも、本当に僅かずつだけど差が生じる。
このまえあったよね。閏秒。

何をしてても、無条件に流れていってしまって。
一分一秒でも、無駄にしないように生きても、人間だから一日の大半は休んでいなければ、保たない。

どんなにつらくても、そのうち過ぎ去るって思って。
わたしはずっと、そうやって苦痛を乗り切ってきたけど。

そう、発作を起こしていて、もう、この先永遠にこの状態が続くんだと感じて(feel)も、僅かに残った理性(think)は、時間の流れに、必死でしがみつく。
「そのうち、過ぎ去るから。」
それでも、暴走した感情はどうしようもなくて。
ただ、自分自身を傍観するしか、できないんだけど。


時間には質量はないけど。
無条件に一定の速度で増殖を続ける、もの。


それだけで、わたしにとっては十分すぎるくらいな恐怖の対象。


たとえば、いまこの瞬間は、もう二度と来ない。
時間は刻々と流れ、時間をあらわす数字はどんどん増え続ける。

だから、未来には、いつかたどり着ける。
でも、過去には、どう頑張っても行くことはできない。

だから、記録するんだ。
いつかわたしがいなくなっても、残るように。

やだなぁ。
過去のことを正確に伝えるのは、とっても難しい。
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